今日も昨日も明日も明後日も、私はきっと生きていると思うんです。でも、それが確かなことじゃないことぐらい分かってるんです。でも私はそれでも明日や明後日を疑わないでそれらが当たり前にやってくるものだと思って生活しています。
死にたいと思うときは、世の中に絶望したときじゃなくて、世の中に私を残したい、感じさせたい、証明したいときなんだと最近強く思います。私という人間が「生きていた」ことを証明するには「死ぬこと」が必要なんだな、と。死ななきゃ私の存在や価値なんかに気がつかなかったんじゃないでしょうか。でも、私が死んだことによって受けるショックや、悲しみなんてものは一時的なもので、みんなそれを引きずって生きるわけも無く、皆、それを乗り越えて生きていくのです。それが、とても健康的な「生き方」ですからね。そうなんです。それでいいのです。私がたとえ自殺したとしても、あなたたちは死にません。それは当たり前のことです。そういうものなのです。私が手首を切っても、貴方たちは血を流すことはありません。それは当たり前なのです。そのようなものなのです。死ぬということも。私が死ぬということも。あなたには関係のないことなのです。 死にながら、今この瞬間死にながら人は生きている。細胞は死に、そして生まれ、死に、生まれる。皮膚は剥れ、再生し、剥れる。私達は、今死んでいる最中です。そして、生まれている最中です。私達は死んでいますし、生まれています。それが繰り返されていることが、「体が」生きているということなのでしょう。 私は、人を愛するということに自信がありません。私は人を愛することに自信がある人を信用できません。愛しているなどと私は一言も言った事がありません。「愛してる」と一度だけ聞いたことがあります。彼はとても苦しそうでした。私は笑いました。「まさかあなたがそんなことを言うなんて、信じられない」とさえ言いました。私は恥ずかしかったのです。私は臆病だったのです。私は言葉を恐れていました。言葉が作り上げようとする永遠を恐れていました。愛を疑っていました。愛を試していました。そして、それは愛ではなかったのだと気がつくのに随分と時間を要しました。愛されることが「愛」ではないということに気がつくには少し時間を要したのです。 私は確かに彼を愛していたのです。私は、確かに、彼を愛していました。彼は私を愛していたかはわかりません。愛は己の中にのみ存在するものであって、それは相手とは共有できないものなのです。私とあなたの見ている世界の色が違う様に、それはそういうものなのです。だから、私の愛はあなたには与えられないものなのです。感じることはできるかもしれません。想像することは出来るかもしれません。もしかしたら、体温のようなものなのかもしれませんし。違うかもしれません。何ゆえ、私が愛していたのかと言っているのかも、私には説明できません。私は愛していなかったかもしれないのです。私が言うことが全て正しいことだとは思わないでください。そしてそれが全て嘘だとも思わないで下さい。というよりも、嘘か真かを決めるのは自分自身でしかないと思って下さればそれでいいのです。それすらも疑ってもらって構いません。妄信はお嫌いなんでしょう?私は大嫌いです。 私は私を抱きたいのです。私は私を愛してあげたい。私は、私を救ってあげたい。私はそれが出来ないのです。鏡の前にいるあなたを見つめるとそんなことを思います。私は、決してナルシストではないのです。ただ、私を救えるのは私自身でしかないというこが言いたいのです。私を救えるのは私だけです。それ以外の誰かに救いを求めるとひどい目に合わされます。だいたいそんなものです。 気持ちが悪いのです。吐き出さないと。 気持ちが悪くて食事が喉を通らないのです、吐き出さないと。 正直私がネガティブだと思っている人がいるかもしれません。ここまで読んで「病んでるのかな」という感想を抱いた方には、もう、ここでこの文章を読むのをやめたほうがいいと此処で宣言をしたいと思います。 私は決して暗い気持ちでこの文章を書いているんのでは無いのです。 私は友人の幸福を喜びますし、また、軽く喜べないでしょう。私は、友人の死を、悲しみますが、またあるときは喜ぶでしょう。それは悪意の無い、温かな目で喜ぶでしょう。それは、彼女もそうだと思ってくれていました。私は、彼女の死を喜ぶでしょう。声を上げて、泣き叫びながら、「よかったね」と繰り返すでしょう。私は繰り返すでしょう。 痛みを受ける強さ、痛みを受け止める強さ、痛みを受け入れる強さを私は美しいと思います。痛みから逃げることなく、痛みに向き合い、痛みを感じながら生きていくことの強さは美しいと思うのです。美しいということは、本当に強く逞しくしなやかで、暖かいという意味だと、此処では理解していただけると文脈が理解できると思います。 私のことを、忘れてしまった人たちへ 私を忘れてしまった人たち、それは私が忘れてしまった人たちのことです。 私はあなたを忘れてしまいました。私が忘れられたように。 私を抱いた人たちへ 私を抱いたと思っている人たち、それは多いな勘違いだと思ってください。 私が愛した人たちへ 私が愛した人たちへは、何も言うことがありません。 私はただ、愛しています。だから何も言うことはないのです。
by playgirl69
| 2007-12-18 06:38
| 自己
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JOYのブログ Ⅱ
裸体アレルギー
官能小説、詩、妄想、写真。 http://blog.livedoor. jp/risarisa69/ カテゴリ
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