カテゴリ:自己( 38 )

覚醒 そして、暴走期に

そうとう衝動と欲求がたまっております


暴走するための準備は整っております



あー、フルサワとうとうきたか。やっぱりな。

と思ったら、

友達が先に腐ってました。


ああ。

あたしもきっと腐りにいくよ。

だってもう腐ってるんだもん。

それが露呈するかしないかの問題ってだけで。


幸福にも不幸なくせに普通でいられます。

私にはもう情熱も夢も愛もありません。

ただ日常があるだけです。

なんて楽な日々なんでしょう。

日々はあたりまえに消費されていきます。

私には何もありません。

恐ろしいことに、だからといって発狂しそうにならないのです。



スガシカオが言っていました



「やることが見つからないなら、とりあえず金をためろ。それが見つかったとき、飛ぶために」



脱サラしてアーティストになった彼の言葉には重みがあります。


私も就職しちゃう?

えー

でも、就職するなら中途半端なお金じゃ嫌よ。

ちゃんと充実した仕事がしたいわよ。


と文句ばかりはいくらでもでてくるものです。


好きなことしておまんまが喰えたらうれしいです。




具体的に何をしていこうか、そのビジョンが今すっぽり抜け落ちています。

わらわらとか弱いイメージだけが漂って立ち上っては消えていきます。

それを必死で掴もうとする私の手はどこにいったのでしょうか。

私の腕はどこに消えたのでしょう。




今のように、ただ何となく流れのままに生きているだけで生きていけるならこんなに楽なことはないでしょうね。


それは無理なことなんでしょうね。


もし、本当に生きていけなくなったら、出家したりできるんでしょうか。

それは逃げですか?






とにかく、私ってこんなぐーたらな人間だったことを再認識して反吐が出そうです。

ストイックだった頃は自分が正しいと思っていました。

でも、自分がぶち壊された今、私は何を信じたらいいのか分からないのです。

好きなものは沢山ある。

やりたいな、と思うこともある。





なんだろう、この、ぐるぐるするかんじ。

私は何をしたらいいんだろう。





考えるのは止そう。

どうせ答えなんて無いし。

ぐるぐる巡るだけだ。





淋しいとか、恋しいとか、思わなくなればいいのに。






ほんと、私なにがしたいんだ?






セックスしたら解決するか?

恋したら解決するか?

愛されたら?

愛したら?




演劇がつまらない。

つまんない演劇が多すぎる。


音楽も流行ってるのはつまんない。


つまんないものが流行る。


そんな世の中に私は適応できるのか?

私はそれでも私の好きなことがやりたい。



でも、好きなことってなんだ。



何か、面白いと思えるものがない。



心から、愛せない。


誰もつまらない。


何もかもがつまんない。








私が、爆発しそうだ。

どろどろにとけて、何かに吹きかけられたら、引火して。



だから、暴れたくてしかたない。

馬鹿になりそうだ。



後悔?



何も考えて無いわけじゃない。

頭がいたい。





変われない。




何しにきたんだ、東京へ。

茨城には帰るつもりないのに。

何のためにいるんだ、東京に。



私って、今、最高にどうでもいい、ありふれた人間です。



どうして、こんな風に生きてしまうの?


駄目だよ。

生きていこうよ。

生きて、生きて、生きて。



もっと。



目を啓いて。



私がもがいてる。






やるべきこと。

もっとほかにあるんじゃないか。





うお





腐ってる場合じゃねぇぞ。



とりあえず、2月は恐らく暴れます。


暴れるようなスケジュールを組みました。



殺されてテレビ放送されないように気をつけます(つ∀`).+°o*。.



とことん暴れてから、また、暴れても意味無いって気がつくと思います。
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by playgirl69 | 2008-01-15 21:48 | 自己

堕ちる

欲望できめちゃえ

理性とかもう棄てちゃえ

落ちるところまで落ちちゃえ


あいつがまたやってくるよ

私の淋しさを嗅ぎつけてやってくるよ

あいつはやってくるよ

私の欲望を嗅ぎつけてやってくるよ


流れてしまおうか?

流してしまおうか?


私の全てを

棄てる覚悟で



夢も希望も

棄てる覚悟で
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by playgirl69 | 2008-01-05 00:50 | 自己

私のお話。

今日も昨日も明日も明後日も、私はきっと生きていると思うんです。でも、それが確かなことじゃないことぐらい分かってるんです。でも私はそれでも明日や明後日を疑わないでそれらが当たり前にやってくるものだと思って生活しています。

死にたいと思うときは、世の中に絶望したときじゃなくて、世の中に私を残したい、感じさせたい、証明したいときなんだと最近強く思います。私という人間が「生きていた」ことを証明するには「死ぬこと」が必要なんだな、と。死ななきゃ私の存在や価値なんかに気がつかなかったんじゃないでしょうか。でも、私が死んだことによって受けるショックや、悲しみなんてものは一時的なもので、みんなそれを引きずって生きるわけも無く、皆、それを乗り越えて生きていくのです。それが、とても健康的な「生き方」ですからね。そうなんです。それでいいのです。私がたとえ自殺したとしても、あなたたちは死にません。それは当たり前のことです。そういうものなのです。私が手首を切っても、貴方たちは血を流すことはありません。それは当たり前なのです。そのようなものなのです。死ぬということも。私が死ぬということも。あなたには関係のないことなのです。

死にながら、今この瞬間死にながら人は生きている。細胞は死に、そして生まれ、死に、生まれる。皮膚は剥れ、再生し、剥れる。私達は、今死んでいる最中です。そして、生まれている最中です。私達は死んでいますし、生まれています。それが繰り返されていることが、「体が」生きているということなのでしょう。

私は、人を愛するということに自信がありません。私は人を愛することに自信がある人を信用できません。愛しているなどと私は一言も言った事がありません。「愛してる」と一度だけ聞いたことがあります。彼はとても苦しそうでした。私は笑いました。「まさかあなたがそんなことを言うなんて、信じられない」とさえ言いました。私は恥ずかしかったのです。私は臆病だったのです。私は言葉を恐れていました。言葉が作り上げようとする永遠を恐れていました。愛を疑っていました。愛を試していました。そして、それは愛ではなかったのだと気がつくのに随分と時間を要しました。愛されることが「愛」ではないということに気がつくには少し時間を要したのです。

私は確かに彼を愛していたのです。私は、確かに、彼を愛していました。彼は私を愛していたかはわかりません。愛は己の中にのみ存在するものであって、それは相手とは共有できないものなのです。私とあなたの見ている世界の色が違う様に、それはそういうものなのです。だから、私の愛はあなたには与えられないものなのです。感じることはできるかもしれません。想像することは出来るかもしれません。もしかしたら、体温のようなものなのかもしれませんし。違うかもしれません。何ゆえ、私が愛していたのかと言っているのかも、私には説明できません。私は愛していなかったかもしれないのです。私が言うことが全て正しいことだとは思わないでください。そしてそれが全て嘘だとも思わないで下さい。というよりも、嘘か真かを決めるのは自分自身でしかないと思って下さればそれでいいのです。それすらも疑ってもらって構いません。妄信はお嫌いなんでしょう?私は大嫌いです。

私は私を抱きたいのです。私は私を愛してあげたい。私は、私を救ってあげたい。私はそれが出来ないのです。鏡の前にいるあなたを見つめるとそんなことを思います。私は、決してナルシストではないのです。ただ、私を救えるのは私自身でしかないというこが言いたいのです。私を救えるのは私だけです。それ以外の誰かに救いを求めるとひどい目に合わされます。だいたいそんなものです。

気持ちが悪いのです。吐き出さないと。
気持ちが悪くて食事が喉を通らないのです、吐き出さないと。

正直私がネガティブだと思っている人がいるかもしれません。ここまで読んで「病んでるのかな」という感想を抱いた方には、もう、ここでこの文章を読むのをやめたほうがいいと此処で宣言をしたいと思います。

私は決して暗い気持ちでこの文章を書いているんのでは無いのです。




私は友人の幸福を喜びますし、また、軽く喜べないでしょう。私は、友人の死を、悲しみますが、またあるときは喜ぶでしょう。それは悪意の無い、温かな目で喜ぶでしょう。それは、彼女もそうだと思ってくれていました。私は、彼女の死を喜ぶでしょう。声を上げて、泣き叫びながら、「よかったね」と繰り返すでしょう。私は繰り返すでしょう。

痛みを受ける強さ、痛みを受け止める強さ、痛みを受け入れる強さを私は美しいと思います。痛みから逃げることなく、痛みに向き合い、痛みを感じながら生きていくことの強さは美しいと思うのです。美しいということは、本当に強く逞しくしなやかで、暖かいという意味だと、此処では理解していただけると文脈が理解できると思います。



私のことを、忘れてしまった人たちへ

私を忘れてしまった人たち、それは私が忘れてしまった人たちのことです。
私はあなたを忘れてしまいました。私が忘れられたように。



私を抱いた人たちへ

私を抱いたと思っている人たち、それは多いな勘違いだと思ってください。




私が愛した人たちへ

私が愛した人たちへは、何も言うことがありません。
私はただ、愛しています。だから何も言うことはないのです。
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by playgirl69 | 2007-12-18 06:38 | 自己

1人鍋とその孤独

一人用の鍋があるのだけれど一度も使ったことがなく、今日はなぜか使ってみることにした。

後輩の女の子は1人で鍋をするらしく、「1人で鍋なんて淋しくないのか?」と聞いたことがあったが、そんなことを聞いた自分を愚かだと振り返る。人は1人で鍋をすることがあるし、そんな人がいるから一人用の小さな鍋が市場に出回っているのだ。そして、私もその鍋を使う人間なのだ。

1人用のくせに鳥団子もなかなか丁寧に作りこむ。誰に食わすわけでもない、私の肉になるためだけの食事。わざわざ一人用の鍋を出す必要があったのか?普通にごった煮にしても変わらないんじゃないか?そんな不安には目を向けず、人参を丁寧にもみじ型に切り刻む。

人参を切り刻む間、私の脳内から一切の浮世事が消し去られる。ただ、人参と向き合う。人参をいかに美しくもみじに仕立て上げるか、いや、そんなことすら考えていない。私の意識はどこか遠くの方で人参を切る私を見ている。人参を切る私自身には意識は無い。いや、見てすらいない。私は、何も考えずに、ただひたすら人参を刻んでいた。私自身の料理をする楽しさのひとつに、無我になれるというものがある。何も考えなくてよくなる時間。それが料理をするときだ。まあ、これが人が介入してくると人を意識せずには作れなくなるので、いちいち、「お腹へってるかな」「味付けは濃い目が好きかな、薄めかな」などいちいち考えてしまうので、1人のときだけに限られた楽しみなのだが。


1人で鍋をつつきながら、1人暮らしを始めたばかりのころ、寮の中で1人泣いていたことを思い出した。1人でいることがあまりにも淋しくて、家族を思い出して泣いていた頃。何故あんなに淋しかったのか分からなくなるぐらい、今の私は1人でいることに慣れ始めていた。1人で食事をし、1人で映画をみて、1人で旅行し、1人でカラオケにいき、1人で焼肉屋にいき、1人でパスタ3人前分を頼んだり・・・・と後半は逆に意地になって1人でどこまでできるかチャレンジみたいなことになっていた。

今回もある意味チャレンジだった。

1人で鍋をし、しかも無駄に美しく美味しい鍋を作って1人で食べるとどんな気持ちになるのだろうか。

と、まるでダイバスターの研究員になったかのような気持ちで調査を開始したという感じだ。(わからんやつはYou tubeで検索しる!)


結果は、まあ、ダイバスターを想像してもらえるといい。







1人で生まれ1人で死ぬ。
恋人や家族とだって、どこまでいっても他人であるのだ。どこまで行っても私は1人だ。別に悲観してるわけじゃない。ただそうである、ってだけだ。それだけのことなんだ。

気分的な「孤独」にはあまり興味がない。
普遍的、根本的な「孤独」に趣を感じる。

気分的なそれらに悩まされている人には興味がない、といった方が早いだろう。人に認められることを望み、空っぽで埋まるはずの無い根本的な孤独を社会的な概念が生んだ装飾品で見えなくさせて、自分自身を目くらましさせることに一生懸命になる人を見ると嫌な気分になる。そこに自分自身も見える気がするからだろうか。私も同じようにもがいているのだろうか。どうだっていいじゃないか。




さて、小説の続きでも読もう。
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by playgirl69 | 2007-12-02 22:42 | 自己

私を必要としている人以外は見ないで下さい。

みんなおっぱっぴですな。

おっぱっぴしてんじゃねぇ!

きゃー!




ぐんじょう色が白色な今日。

おっぱっぴじゃないか!



きゃー!




どす黒いことを吐き出そうとすれば、いくらでも出てくる。

でも吐き出すもんか。

吐き出していい場所なんてない。

吐き出される相手の気持ちを考えろ。


それなのに、止まらない。

私は醜い。



本番中です。




何だか夢心地です。

地に足が着かない状態で、ふらふらで、うろうろしてる。

目障りです。自分。うふ。




本当に誰にも必要とされないって、ああ、ホント、あ、すいません。って感じの毎日で。

私が死んだところで、誰一人困らないっていう。

あ、生きてる価値なし、っていう、社会的にみたら。

社会的ならまだしも。

ホント、周りの人間にも。

必要とされてないよね、自分。っていう。あは。


私自身が生きていることに、希望をもてないわけでもないのかもしれない、毎日そこそこ楽しくいきているのかもしれない。

なんだ、この、虚無感は。


生きていても、一人って、辛いなあ。

誰からも、求められない。

それぞれの人にはそれぞれの人の世界がある。

私には立ち入ることができない。

私はその中に棲んでいない。





理由は分かってる。


私がつまらない人間で、求める価値など無い。からだろう。

ほかに付け足せば。傲慢で、関わると害になりそう。だからだろう。


私だってそんな人間と関わりたくない。

みんな、ナイスな選択ですね。

それでいいと思います。


わたしなんて、ほんと、どうでもいい人間だと思います。


だから、本当に必要としてくれる人がいたら、私は喜んで尻尾ふって、尻尾切られて、それでも振ろうとして、腹を蹴られて、それでも噛み付かない犬のような、むしろ、腹を蹴られても大丈夫なように、自分の足を噛み千切るぐらいの、そういう、犬で。

残念です。
自分って人間は、なんでこんなに惨めなんだろう。


学校が怖い。

人が、集団で、ご飯を食べているのとか、怖い。

そこに私はは入ることを許されない。

許されたとしても、本質的にその枠に私は入れない。


苦痛だ。


人が怖い。


一対一はまだいい。


集団は怖い。



昔の記憶が蘇る。

私はそのとき、透明人間だった。

人にはいないように扱われた。

私は、存在していなかった。

私は、怖い。

私は、誰かを好きだと思う。

だけど、その誰かは私を好きだと思わないし。私を必要とはしていない。

だから私は、透明になる。

透明になれば、当たり前になる。


私が存在しないこと、認められないこと、必要とされないこと。

それらは当たり前のものになる。


私は、透明に。




ただ、透明に。




怖くて初日の打ち上げにもいけなかった。

怖い。

私が存在して、お酒の力なんかで、少しでもテンションが上がってしまったりしたら、いろんな人が不快に思うと思う。


ごめんね、生きていて。


じゃあ、死ねっていいたいかも知れないけど。


もうすぐいなくなるから、


もうすぐみんなの目の前からいなくなるから、


少しだけ我慢していてください。




こんな醜い言葉を吐き出して、

死にたくなるぐらい恥ずかしい思いをするのは分かってるのに。



足跡だけは残して、去っていく。

それでいいと思います。



「あー、こんな人いるよね。恥ずかしくないのかな、こんな風に駄目人間アピールして、悲しさアピールして、まだ精神をコントロールできない若い人間なんだな。」



そう思ってくれて間違いないと思います。



ふふ。



私は、怖いです。


疲れました。



こんな夜に、誰かに吐き出せないので。

こんな風に、不特定多数の人間が見る場所に、ばら撒いて、撒き散らして、なんとか、私を認識してもらおうとしてる。

全然透明になれてないじゃん。



残念な人間です。



理想と現実は違います。



全然成長しません。

もっとハッピーに生きていたいです。

好きなことをして、好きなように、前向きに、生きて生きたいのです。

なんで、こんなにマイナスに引きずり込まれてしまうのでしょう。



悲しいです。



弱音なんて吐いてないで、努力しろ、糞が。

私の努力なんて、ほんと、ミジンコ程度なのに、「苦しい苦しい」って良い訳ばっかり。

最悪なんですね。私っていう人間は。

最悪って言えば、許してもらえるとでも思っているんですか?

駄目人間ってレッテルを貼れば逃げれるとでも思ってるんですか?



人のこと言うまえに、自分のことなんとかしろ。



なんでこんなに苦しいんでしょうか。

わからないんですけど。

私がとにかく、ウザイってことは痛いほど理解しています。

なのになんで私は人と関わろうとするんでしょう。

話すのを止められないんでしょう。

関わろうとするんでしょう。

止めとけばいいのに。




ほんと。もうすぐいなくなりますから。

それまで我慢していてください。
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by playgirl69 | 2007-11-22 00:32 | 自己

幸福感は持続しない、その逆があるように

お洗濯
お掃除
お化粧
お料理


今日は天気が良かったので全部上手くいきましたw


干したての洋服を着た瞬間、凄くいいにおいがしてそれだけで幸せ(*´艸`*)

美味しいご飯を食べて、お部屋を隅々まで綺麗にして、丁寧にお化粧して


それだけで幸せだな、って。


ご飯を食べ終わった後お皿洗いながら、

あー、結婚したら、好きな人(誰だかわからないけど。というか、好きな人と結婚できるのか、という問題もあるが、好きな人と結婚するっていうのは、やはり最低限(いや、これこそ最高だという意見もあるが)の結婚の条件にしておこう)と毎日顔を合わせて、ご飯を一緒に食べて、お家にいるときはお部屋をきれーにして、お洗濯して、空いてる時間に自分の好きなことして~っていう、毎日、とてもいいなー。


って、ぼんやり考えていて、天気が良かったし、何だか、今日は幸せな気がして。



そのまま、お買いものとかして、髪の毛とか切りにいって、マッサージにいって、うれしい気分のまま美味しい紅茶を飲みながら、好きな本を読んだり、音楽聴いたりして~~~[m:49]ってできたらよかったけど、全然時間足りなくて、授業にいって、でもその先生の授業が凄く素敵で、気持ちははわわわーんってなった(つ∀`).+°o*。.




ギターを夜中なのに弾いてみたりして、ああ、やっぱり音楽っていいな。って。

演劇をやることが私の中で単なる昇華でなくなっていって、演劇をすることが、私の中で、深く深く私に影響してきて、身動きがとれなかったり、怖かったり、するけど・・・・・・

音楽は純粋に、作為なく、私の中にすんなり入ってきてくれる。




演劇に関わることはとても心地がいいし、毎日刺激的で、毎日脳みそが吃驚する。




音楽は、なんだろう。
束縛がない感じ、体も心も自由になれるかんじ。


演劇やってると、心と体が自由になれるって、あんまり感じられない。

心も体も自由に、演劇と関わっていきたいな、と常々思う。

岡田さんとかみてると、自分の好きなことやってるんだなーって。強く思う。凄く羨ましい。

自分の作品をつくるぞ、となるとき、いつもガチガチになってしまって、不自由になるのを強く感じる。もっと自分の好きなことを好きなようにできるようになりたい。

そのために、自分の感覚を強く信じれるようになりたい。





私は人のこと凄く怖いと思っているけど、でも、人と関わることって凄く愛おしい、素晴らしい時間だと思う。





矛盾。。。





矛盾を抱えている人間をそのまま受け入れて、描くのが演劇の仕事だと、誰かが言った。

だから、矛盾だらけの私は、演劇のそういうやさしさに甘えて生きてる。




死ぬほど今孤独だけど、だけど、今も地球が動いていて、私は息をしていて、明日もきっと生きてるから、だから、私は生きていくんだろう。





となりで誰かが生きていたら、私もその心臓の音を聞いていられるのに。
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by playgirl69 | 2007-11-14 01:55 | 自己

煮えたぎるマグマ

生きている

確実に

確実に


私の中の熱い熱い情熱は

噴火前のマグマみたいに

どくどくと

溢れ出しそうだ


何のために生きる


情熱は夢に向けられるわけでもないだろう


夢なんてあったのか


私は何になりたいのか



ただ、マグマだけが、ぐつぐつと煮えたぎってる


どこに噴火したらいい?
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by playgirl69 | 2007-11-05 01:36 | 自己

私の道

消そうとしても過去は消せない

私に刻まれた傷も

私が犯した過ちも

私がつけた傷も

消えない


消えない


傷を罪を過ちを重ねながら

それでも

前に向かって

生きていく


それしか私にはできない


前を向いて


前を向いて



たとえその道が険しくとも


ただひたすらに

今を生きるしかできない




私に



できること





私が進む道に私の道ができる


そんな当たり前のことに


今更


気がついて閉口する


進むしかない


私は私でしかない
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by playgirl69 | 2007-10-18 14:28 | 自己

私のマグマが煮えて溢れるときは

私の欲求を掻きたてる

人間の

情熱

肉体

葛藤

欲望

が漲り

それらが私の体の芯を熱くさせて

溢れさせる



ああ



私の体に漲るのは欲

欲望

欲求

の全てが漲る


私は満たされなくて

もがく


ああ


私は今

沸々と燃え滾るための熱をためて

燃え盛るための準備をしている


私は沸々と

私は熱を噴出すだろう


ゆっくりとマグマが煮えている


噴出すのを止めることは私にはできない

あなたが止めなければ

私は噴出すだろう


その時、私の手の中にペンがあればいい

それなら私は誰かを巻き込まなくてすむ


ペンを持てるだけの理性も持たなければ
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by playgirl69 | 2007-09-23 03:27 | 自己

死体ごっこ

小学校の頃、私は水死体になった気分で水に浮かぶのが好きだった
その趣味は中学校の頃まで続くが、水死体ごっこの心地よさに気がついたのは小学校のころだった。

水に抵抗せず、浮き続ける。
水が耳の中に入り、がさっと音がすると、音が遠くなりこぽこぽという音が耳を支配する。
さっきまで耳に直接聞こえてきた、水のジャバジャバという音や子供の笑い声は遠くにいっていしまう。

光が水の中で屈折したこの世界は、外とは明らかに違うものだった。

私はそれを「死体ごっこ」と名づけて友達にも勧めた。
友達は「息をどれだけ止めていられるのかごっこ」と勘違いしたらしく、あまりこの遊びの魅力を理解してくれなかったようだ。死体ごっこという名前に喰らいつき、友達が何人か付き合ってくれた。5、6人の人間がぷかぷかと浮いていたときはとてもいい気持ちだった。しかし、皆この遊びの本質的な面白さを理解できずに、すぐにビート板やらビーチボールなんかで遊び始めた。私は水の中の方が好きだった。潜水している時のあのふわりとした感覚、耳がいつもの世界の音を遠ざけ違う世界の音を拾って、そして私は息を止める。私は水の下の子供達の足を眺める。見えない世界。それらは私にとってとても居心地のいいものだった。

そして、ただ「死体」になること。

思考を停止し、抵抗せず、ただそこに存在するだけでいることに、私は一番の面白さを感じていた。「死ぬ」状態への疑似体験、「死ぬ」ことへの知的欲求、「死ぬ」ための遊びだ。

私は何度も死体になった。
「死ぬ」ことができなかったからだ。

最初はぷかりと浮かんでいる私を心配してくれる友達も何人かいたが、何度か私が「生きてるよ。騙された?」とちゃかすうちに、誰も私を心配するものはいなくなった。そのうち、本当に私が死んだらどうなるんだろう。という妄想にかき立てられ、私は、水に浮きながら、私が死んで友達が後悔する映像を想像した。しかし、もう誰も私に興味を持たない。私はそこにただ存在するだけのものとして扱われた。

私は生きているのに、私はこうやって生きているのに、彼らにとってはまるで物体としてしか認知されていなかった。

私は、彼らの中で死んでいのだ。


そして、私が死んだとしても、もともと死んでいる私は、とくに想像のようには思われないだろうと想像して、私は死体ごっこを続けた。
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by playgirl69 | 2007-09-09 01:40 | 自己